これからの人生を支えてくれる、6年間の“がんばり”の日々。
母子二代で文京学院へ。
母が文京学院(高校)の出身で、小さい頃から本学院の素晴らしさを聞いて育ちました。小学校高学年の時、母と文化祭見学に訪れ、やさしい笑顔で迎えてくださった先生方や、元気で明るい先輩たちの様子に触れ、ここで学びたいと強く思うようになりました。両親の薦めではなく、私のほうから中学受験を申し出ました。「これまでの人生の中で、もし戻ることができるなら高校生の頃ね」とよく話している母と同じように、私にとってもキラキラと輝く6年間となりました。中学では、華やかなレオタード姿が印象的だった新体操部に入りました。ここでは挨拶の大切さや、先生や先輩との接し方を徹底して指導されたように思います。練習は厳しかったのですが、挑戦と努力の積み上げが、やがて成果につながるのだと理解することができたのは部活動のおかげでした。
憧れのドラムメジャーに挑戦。
高校では、伝統あるマーチングユース部(BMY)に所属、「これまでの人生の中で一番がんばった」と誇れる日々を送りました。当時の同部は、チア(バトン)・カラーガード・ドラム・ブラスの4つのパートで構成されていました。3年生になると役職に就けるのですが、そのためには顧問の先生と先輩による面接を受けなければならないのです。私はずっと憧れていたドラムメジャー(指揮者)を志望しました。行進のとき、バトンを上下させながら先頭を歩き、曲のリズムを示したり、方向転換の合図を出したりする先導的な役割です。威厳を具えなければならないドラムメジャーは体格的に恵まれていることが望ましいのですが、私は少し小柄だったのです。先生からは「とにかく背筋を伸ばして姿勢を良くするように。これからの生活態度をみて決めます」と宣告されました。少しでも近づけるようにと、毎日、自分を律して過ごしました。そして、念願のドラムメジャーを務めることになったのですが、それから毎日、うまくできない自分がもどかしくて涙することになろうとは思いもしませんでした。
成長へとつながるチャンスをいただいて。
ドラムメジャーとして4つのパート、100名の部員をまとめあげるのは簡単ではなく、コーチからは厳しく指導されました。自分自身の気持ちをコントロールしながらチームを率いなければならない難しさと、責任の重さに押しつぶされそうになったとき、手を差し伸べてくれたのは仲間たちでした。私が兼任していたチアのパートだけではなく、他のパートの部員たちが声を掛けてくれたのは、うれしく感動する出来事でした。この経験は、私自身を大きく成長させてくれましたし、チャンスをくださった先生には心から感謝しています。
現在は、商社で自衛隊などが運用している航空機や艦船のエンジンや修理用部品の輸出入業務を担当しています。書類やメールのやりとりはほとんどが英文です。誤訳やミスコミュニケーションは許されません。業績に損失を与えかねません。「英語はこれからの社会人に必須の能力。しっかり勉強するように」とすべての後輩たちに伝えたいですね、私自身の反省も込めて(笑)。
「社会人として、地域コミュニティの一員として、また家庭人として必要なことは、すべて文京学院で学んだ」と今なら声を大にして言えます。一人でも多くの人が、ここ文京学院で未来に続く道を見つけられますように。
文京学院在学時のM. H.さん
M. H.
プロフィール
文京学院大学女子中学校、同高等学校(文理コース)卒業。大学卒業後、現在、商社に勤務。