club

ホーム > クラブ > サッカー > 海外で活躍する卒業生から

クラブ

サッカー
活動報告

海外で活躍する卒業生から

[ カテゴリ:サッカー ]

06月

11日

2019

卒業後、女子サッカーの本場アメリカに渡り、サッカーと英語の学びに取組んだ卒業生からの報告を紹介します。

日本を飛び立って2年が経ち、やっと5月に、カンザスのHesston College をなんとか卒業することができました!この2年間、毎日新しい事の連続でした。18年間日本で暮らしていた私にとって、新しいカルチャー、宗教、言語、環境…自分なりに楽しんで過ごしていたけれど、正直、簡単ではありませんでした。1日の主なスケジュールは、朝7時からチームで走り、8時からクラスが始まり、休み時間はありますが、4時までクラス、そしてそのまま、4時からチームの練習、それからは、クラスの課題、復習、予習...ベッドに入れるのは、早くて夜中の3時でした。

1年目は、

本当に英語が理解できなかったし、喋れなすぎて、優しい友達はゆっくり喋ってくれたり、私が答えやすい質問をしてくれたりしてコミュニケーションをかろうじて取れていた感じでしたが、呆れて会話をやめる友達もいました。カレッジのクラスでは、ほぼ全部理解できず、伝えたい事も伝えられない、クラス中は必死にわかったフリをして、クラスが終わってから教授に質問攻めしていました。

ディスカッションが多いクラスでは、友達になんて言えばいいかこっそり聞いたりして、自分の意見は全然言えませんでした。それがめちゃくちゃ悔しくて、予習をして、意見を言えるようにしていました。

サッカーに関しては、センターミッドでプレーし、アメリカでの初シーズンでまさかの最初の6試合連続得点。英語でコミュニケーションが上手く取れなかった私は、サッカーで信頼を得るしかありませんでした。しかし、私の人生はそんな簡単ではありませんでした。対人練習中、ぬかるみにはまり、その瞬間にチームで一番でかいアメリカ人の体重がのしかかり、足首靭帯損傷でした。すぐ治るだろうと思っていたこの怪我は、リハビリをしていたものの、シーズン最後まで治らず…最後の試合だけはテーピング、サポーターを完全装備して、出してもらいましたが、球際の一回のクラッシュでダウンでした。そんな感じでとても悔しい最初のシーズンでした。


2年目は、

なにか吹っ切れたように英語を話す機会が増えて、色々な人に出会い、もっと話したい、もっと仲良くなりたいという気持ちから、特別何か努力をしたわけではないけれど、テキトーな文法、単語を使って話しても、理解してくれたり直してくれたりして、世間話やジョーク、リレーションシップの話など普通の会話もゆるーくできるくらいになりました!それでも、自分の英語はまだまだです。ボキャブラリーも少ないし、言い回しももっと学びたいです。自分で座って書いたりして学んでても、すぐ忘れてしまうので、周りから吸収してどんどん使って、自分のものにしていきたいと思います!

クラスの内容は、さらにスペシフィックな内容が入ってきたので、難しかったし、理解も相変わらず時間がかかったけれど、クラスで内容が聞き取れて、質問も授業内でできるようになったので、1年目よりは効率よくできたかなと思います。2年目のシーズンでは、キャプテンを任されました。自由すぎるアメリカ人達を、まとめて、引っ張っていく。覚悟はしていたものの、想像以上でした。

中高で、エース的な存在でなかった、怒られるマトの私がアメリカで、絶対的エースと期待され、地域の新聞にも取り上げられて、信じられないくらい優遇されて、コーチも私を褒めまくる。
そんな環境に甘えてちゃいけないという気持ちと、期待に応えたいという気持ち、そしてチームメイトの気持ち、色々な事をフルで考えたシーズンでした。自分の学年は比較的良い選手が集まっていて、強い学年と期待されていました。そのため、コーチは下の学年のリクルーティングをあまりせず、ほとんどが初心者の子達でした。練習は、スムーズに進むわけもなく。しかし、彼らは経験者を見て、諦めることなく必死についてきてくれました。私が1年生の時は、全員が経験者でレベルもある程度高く、しかし自己中心的な選手が多く、喧嘩ばかりのチームでまとまりがありませんでした。それに比べて、新チームは穏やかで、まとまりがあって…しかし、サッカーのレベルが低い。ゲームシーズンが始まり、戦績は史上最悪。0勝でした。完全に私の責任だと思い込み、チームメイトは戦う気力も無くなっていき、プレッシャーに押しつぶされ、サッカーが初めて楽しくないと感じてしまいました。毎試合後、部屋に帰ると勝手に涙が流れて止まりませんでした。自分の弱さに落胆する毎日でした。

シーズンちょうど半分が終わった頃、私は限界でした。いつだって無駄にポジティブにやってきたけれど、その時は色々なこと(サッカー、勉強、課題、ルームメイト問題など…)が重なり、完全にfreaked
outという感じで、親以外の誰にも話さず日本に帰る事を決めたほどでした。本当は日本に帰りたい訳でもなく、逃げたい訳でもない、でもここにはいたくない。とりあえず、一回やり直したい、落ち着きたいという一心でした。

決めたら行動までは早い方なので、すぐにコーチに話し(この時コーチは大反対で、他の方法があるはずと提案してくれましたが)、退学書類を集めて、サインをもらい、パッキングをはじめていました。そのとき、私の留学を考えてくださった方々に、めちゃくちゃ怒られました。言い訳ばかりを並べて、逃げようとしている私に、厳しい言葉で大切な事を教えてくださいました。

そして、私が最終的に出した答えは、ここに残る事。

完全に自信を無くしていた私でしたが、もう一度チャレンジしたい、乗り越えたいという気持ちに変わりました。勝利という結果だけの形ではなく、何か自分だけが残せるもの、何か1つでもいいからチームの自信に繋がる事に貢献したいと思い、チームと学校に戻らせてくださいと申し出ました。

チームに戻らせてもらい、キャプテンとしてリスタートすることができました。

すると、今までとは違うチームかのように覇気で溢れ、やる気と根拠のない自信で、たとえ負けても、勝ったチームのように次も頑張ろうという勢いで、サッカーが大好きで楽しいと心からまた思うことができました!そして、個人的にはカンファレンスのセレクトチームのメンバーに選出していただきました。

こんなキャプテンでも受け入れてくれた、チームメイト、コーチに本当に感謝です。

そんなこんなで、山あり谷ありの濃すぎる2年間でした。卒業した今ではあっという間だったと言えますが、正直、卒業までめちゃくちゃ長かったです。

しかし、毎日学びの連続の環境で、こんなに沢山の事を経験できた事は私にとって、とても大きな2年間になったと思います。

色々な人を振り回し、迷惑をかけまくりました(中高の時から相変わらずです><)。それでも離れず支えてくださっている家族をはじめ、コーチ、チームメイト、友達、そして留学を勧めて、支えてくださった文京の先生方に本当に感謝しています。

この環境と、留学する事ができていること、サッカーができる事、あたりまえだと思わず、いつでも感謝と挑戦の気持ちを忘れずにこれからも自分らしく突き進んでいきたいと思います!!

今は、カンザスの友達の家にステイさせてもらっていて、FC Wichitaというセミプロのチームでプレーさせてもらいながら、次の大学(Graceland University, Iowaにトランスファーが決まりました)に向けてサマーのクラスをとっています!


IMG_0597.jpegIMG_3822.jpeg

文京学院このページの先頭へ